アドバネクスの歴史

HISTORY

創業から現在まで、
アドバネクスの歴史を紹介します。

1930年

アドバネクスの歴史が始まる

創業者である加藤伊之吉が、東京都江戸川区逆井にスプリング専門工場を設立。
ここからアドバネクスの歴史が始まる。
太平洋戦争を経てばねの需要が徐々に増えはじめ、はかり用のばねの販売では全国シェア90%にも達し「はかりの加藤」との異名を得るまでとなる。

アドバネクスの歴史が始まる

1964年

町工場から上場企業へ

伊之吉は取締役会長に、取締役社長には息子の清が就任。
社長となった清は他人資本を受け入れ、着々と事業拡大の道を突き進んでいき、加藤スプリング製作所は東京証券取引所第二部に上場を果たした。

町工場から上場企業へ

1971年

念願の海外進出

1950年代後半から定期的に海外視察を繰り返していた清は、1971年1月に初の海外拠点(カトウスプリング・USA)をロサンゼルスに設立。
この年、日本は後にニクソン・ショックと呼ばれるドルの変動相場制の時代を迎えたが、このような時期にアメリカ進出を果たしたことは、その後の日本企業の国際化の流れを先取りしたものと言えるだろう。

念願の海外進出

1977年

新潟工場の新設

国内での順調な成長と海外進出により、国内にある工場が手狭になってきたことから、1977年、新潟県柏崎市に柏崎工場(現 新潟工場)を竣工。
前年の1976年3月から11月までの8か月にも及ぶ大工事によって建てられたこの工場は、工場内に機械を入れてもキャッチボールができてしまうほどの広さだったという。

新潟工場の新設

1989年

提案型企業へ

1987年11月、加藤雄一常務が社長へ、そして加藤清社長は会長へと就任した。
雄一は1989年の平成元年に、今後も成長を続けるためにはセットメーカの技術開発を支援するような精密複合部品を自ら開発し、提案する必要があると考え、マーケティング部を新設した。
アドバネクスの提案型営業は、ここから始まったのである。

提案型企業へ

1992年

フロッピーディスク用シャッター
世界シェア80%

1980年代から2000年前後まで記録メディアとして広く使われてきたフロッピーディスク。この内部にあり、磁気ディスクを保護するためにばねと連動された「シャッター」という金属製の部品の世界シェア率の80%をアドバネクスが占めていた。
材料投入から梱包まで完全自動の生産ラインを構築し、品質と低コストを両立させたことが成功の決め手である。

フロッピーディスク用シャッター世界シェア80%

1993年

会社の伸びる素
「オプション経営」

社員の思う通りとまではいかなくても、かなりそれに近い働き方を実現できる「オプション経営」を雄一は取り組んできた。
1日の勤務時間を自由に決められる“フレックスアワー”や、土曜日に働いて平日に休める“フレックスデー”などを実践し、社員たちが満足に働ける環境を作り上げてきた。

会社の伸びる素「オプション経営」

2001年

アドバネクス(Advanex)に
社名を変更

ばね・スプリングだけでなく、金属加工品を扱うまでに発展した「加藤スプリング製作所」は、2001年に前進を意味する「アドバンス(Advance)」と次を意味する「ネクスト(Next)」を組み合わせた「アドバネクス(Advanex)」という社名に変更。

アドバネクス(Advanex)に社名を変更

2004年

東京証券取引所一部へ

1964年に東京証券取引所二部に上場して以来、継続して事業を拡大し市場でも信用を高め続けた結果、2004年に同一部への指定替えを果たす。

東京証券取引所一部へ

2016年1月

埼玉工場の新設

埼玉県本庄市に自動車部品専門工場として、埼玉工場を建設し操業を開始。

埼玉工場の新設

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